フラワー・花のある暮らし

美術展に出展してみて思う、日本のアート事情

上野の森美術館に出展しました

2018年2月、上野の森美術館で開催の「第23回日本の美術」展にフラワー作品を出展しました。
シェイクスピアの『ハムレット』に登場する悲劇のヒロイン、オフィーリアをテーマにしました。

恋人ハムレットに父を殺され、気がふれて小川に落ちて死んだオフィーリアはいろいろな芸術作品のモチーフとして使われています。なかでも、恍惚の表情で小川を流れていくオフィーリアの姿を描いたミレイの絵画作品は有名ですね。
 

 
わたしは1998年に東京都美術館で開催された「テート・ギャラリー展」でこれを見ました。
川面の草花やオフィーリアの衣装、呆けた表情の生々しい美しさに、心を鷲づかみにされました。

水中に揺れる水草はイギリスの田園に咲く梅花藻(キンポウゲ科)で、日本でも夏の清流で見られると聞いて、いつか見てみたいと思っています。

夏目漱石もイギリス留学時代にロンドンでこれを見たとされ、『草枕』の中で絵描きの主人公が「風流な土座衛門」といっています。

花は枯れるから、つかの間の命の輝きが美しいといわれます。
そんな生と死の間の一瞬の美しさに、枯れない造花で挑みました。

 

“Ophelia” -Toshiyo Takahashi

(審査員のひとり桂由美さん。最近は脚がお悪いそう。ヒノキ間伐材から抽出した森の香り付きの展示をしました)

 

アートとデザインの違いとは!?

昨年、出展のお話をいただいて以来、アートとデザインの違いってなんだろうと考えていました。

ふだんは商品としてフラワーアレンジメントを作って販売しています。肩書として「フラワーデザイナー」と名乗ることはあっても、アーティストだと思ったことはありません。

デザインには必ず他者の存在があって、なんらかの意図があります。お客さまが解決したいこと、叶えたいことに応えるためにデザインをします。

一方アートは、アーティスト自身の内から溢れ出るもの、自発的な自己表現のようなものではないかと思います。自己表現というと “自我” を感じますが、むしろやむにやまれぬ事情でやっている “忘我” でしょうか。

でも、ルネサンス期の巨匠だって食べるために売れそうなものを描いたし、パトロンの注文で描くことも多かったはず。自分の内なる情熱にまかせるばかりではありません。

近年ではアートにも社会的なコンセプトやメッセージ性が必要で、デザインにも機能性だけではない芸術性が重要になってきていますから、その違いはますますわかりにくくなってきますね。

 

アーティストのなり方

プロのアーティストとは、”作品が売れる” ということ。
花の世界もそうですが、美術も音楽も、学校でテクニックは教えたとしても、それで食べていく方法は教えてくれません。

無名の作家に注文がくることはほどんどないので、一般的には、まず小さいところでクループ展などをやり、個展をやり、格上の画廊から声がかかるのを待つか、海外で個展をやる、というような流れのようですが、はじめのうちは持ち出しが多く、なかなか食べられない。

「センセイのお作品はたいへん素晴らしい!ぜひ当社にプロモーションをおまかせください」的な営業はよくあります。あちらも仕事なので手数料を取ればいいわけですから、何とでもいいます。海外で個展をやったとか、雑誌に載ったとかいうだけでいいなら、お金を出せばすぐできます。

そこでだれかの目に留まってすごいことになるなんてことも、たまにはあるかもしれないけれど、たいていはそれきりでしょう。

欧米ではそういう過程をサポートしてくれるソーシャル団体があったり、食べられるようになるまでの生活を支えてくれる補助金が出たりするそうです。

先進国の中では日本のアートマーケットはとても小さいそうです。一部の骨董マニアをのぞけば、アートは買うものではなく、美術館やギャラリーで見るものだと思っていますからね。

アートを買うとは、それがとても気に入って所有したいという欲と、将来値上がりするかもしれないという投資の意味合いがあるでしょう。そうすると評価の定まらない現代作家のものは、ますます手がでないでしょう。

アートとは何か、美しさとは何か。
永遠に答えのでないことかもしれませんが、これからも考え続けていこうと思います。

ひとまず出展は、いろいろ考えるよい経験となりました。

 


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